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5件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2007-02-07 第166回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第1号

ハル・ノートというのは、要するに、要点だけ申し上げますと、中国及びフランス領インドシナ、仏印から全面的に撤退せよと、これが一つです。二番目は、蒋介石政権を承認せよと、そして日本がつくった、つくったと言うと怒られますが、汪兆銘政権を不承認にせよと。それから三番目が、三国同盟から離脱せよと。この三つなんです、これは一番大事なところは。

半藤一利

1994-06-03 第129回国会 衆議院 法務委員会 第2号

きょうはちょっと歴史の本を持ってまいったわけでございますけれども、結局、当時、昭和十五年、戦争の始まる前に、日本は南部フランス領インドシナに、進駐という言葉を使いましたが、前進をしました。これは例の「時局処理要綱」では、「仏印当局日本軍補給担任、軍隊の仏印通過飛行場使用等を認めさせ、かつ必要な資源の獲得に努める。

正森成二

1993-11-08 第128回国会 参議院 決算委員会 第3号

フランス領インドシナ進駐が有名な事件日本にとっては非常に不幸な転機となった事件でありますけれども、これも宗主国フランスの了解を取りつけて平和裏に文字どおり進駐したのでありまして、武力による略取ではございません。  現在、広大なインドネシアの諸島ですが、当時、蘭領東インド、私ども子供のときから蘭印という呼び名で覚えておりましたが、日本はオランダには宣戦布告しなかったのであります。

木暮山人

1993-05-21 第126回国会 衆議院 予算委員会 第23号

十九世紀後半にカンボジアフランス保護領となっていましたけれども、第二次大戦中、本国がドイツ占領により弱体化していたフランス支配の間隙を縫って、一九四〇年に日本軍が当時のフランス領インドシナ進駐して、私は大変な迷惑と犠牲を強いたものと考えているのであります。一九五三年、フランスから独立をから取った後も、カンボジアベトナム戦争などをめぐって国際政治のはざまで厳しい対応を迫られてきた。

串原義直

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